──まずこの『PACK TO THE FUTURE』は、どこから始まったんでしょうか。
桜井オリジナル・アルバムが前年、2014年に出まして。今年もせっかくレーベルを立ち上げて「やるぞ!」みたいな感じなんで、何かプロダクツを作りたいんだけど、このキャリアで毎年がんがん新作を、っていう感じでもないじゃないですか? だからってなんにもしないのもイヤだな、っていう時に、徳間ジャパン制作部長の品川さんが、このアイディアを持ってきて。すごい言いにくそうに「普通のカバーっていうのもあれなんで……イヤだったら言ってくださいね? 昭和のアイドルをカバーするのはどうですか?」って。
YO-KINGそれで、女性アイドルっていうのは俺が言ったの。女性で縛っちゃったほうがおもしろいかな、と、その時話してて、思って。テーマに縛りがあったほうが、選曲とか限定されるからラクかなと。選曲、やっぱり膨大な海から探さなきゃならないから、いい魚を。ただ、“赤い風船”は、この企画云々より前から、ずっとカバーしたいなと思ってたから、“赤い風船”をいちばん古い曲として、そこから自分たちが体験したアイドルの時代に限定して選びましょうと。で、みんなで「あれもいい、これもいい」って言いながら選曲したんだけど。
──“赤い風船”、好きだったんですか?
YO-KING好きなんですよね。自分が思ってる……ほら、俺より一世代二世代上の人がさ、行ったことがないアメリカへの熱い思いを持ってたりするじゃない? そういうのと同じで……そこに俺もいたんだけど子供だった、大人としてすごしていない70年代への憧れみたいなものが凝縮されてんの、“赤い風船”って。このイントロとAメロで……なんかね、現実の70年代とは違うんだろうけど、自分の思ってる日本の70年代っていうのが凝縮されてんの。
──桜井さんがこのカバーアルバムのアイディアに乗ったのは?
桜井だってこんなの、楽しいに決まってるじゃないですか? 逆に「いいんですか? やって」ぐらいのもんですよ。超『ザ・ベストテン』世代ですから。中には知らない曲もありますけど……選曲はメンバーだけでなく制作スタッフ全員でやるんですけど、やっぱり盛り上がるんですよね。「あんな曲もあった、こんな曲もあった」って。「絶対そんな曲やんないよ!」っていう曲を提案されても、一応その人に説明させてあげる、みたいな。それで会議が5分長くなるけど、そこは聞いとこうよ、みたいなのでワイワイ盛り上がって。
YO-KINGそれで選んだら、ここに入ってる3倍ぐらいになったもんね。それで各自聴いて、また集まって、しぼっていって。
──桜井さんが強く推した曲は?
桜井俺はね、いちばん推したのは“ゆ・れ・て湘南”(石川秀美/1982年)かな。こういうアルバムは、歌う人がいちばん大事だと思うので。まず歌う人が気持ちよく歌えるという前提で、その上であえて強くリクエストさせていただくなら、“ゆ・れ・て湘南”でしたね。YO-KINGさんの中の70年代が“赤い風船”なら、“ゆ・れ・て湘南”は80年代なんですよ。俺の思う80年代感。湘南というかね、(横浜の)大黒ふ頭あたりが浮かぶんですけど。“スニーカーぶる~す”(近藤真彦/1980年)感といいますか。湘南っていうと、国道134号線あたりだけど、この曲の感じは国道15号の工場のある海、みたいな。そういうせつない雰囲気が漂ってる曲で。
──ギリギリまで残ったけど最終的に入らなかった曲とかありました?
桜井 ありますよ、プリプロまでやったけど断念した曲たちも。……やっぱりキャンディーズとピンクレディーは、子供の頃いちばん影響力のあった女性アイドルだから、当然候補には入れてたんですけど、いろいろ難しくて。ピンクレディーの曲だと、あの歌詞のぶっとんだ世界観は、YO-KINGさんが歌ってもハマりそうにないな、とか。増子(直純/怒髪天)さんが歌ったらすげえ楽しそうだけど(笑)、うちじゃないのかも、とか、そういう逡巡がいろいろあって。
YO-KING最近はわりとそうなんだけど、特にこのアルバムに関しては、僕が家で聴きたいものを作る、という覚悟があったんです。そこは譲らないところにして、何か迷った時は「俺が家で聴きたくなるのはどっちかな」っていう基準でジャッジしていったかな
──やっぱりこの時代の、歌謡曲にニューミュージックの作家が入ってきた時代の感じが出る選曲になってますよね。それを狙ったかどうかはわかりませんけども。
桜井狙ってるよ、少なくとも俺は。やっぱりこの年代の歌を録音するにあたって、その年代に聴いていたサウンドとかフレーズとかを放り込みたいなっていう思いはいっぱいあったので。やっぱりこういうのって、自分の育ってきた思いみたいなものをちゃんと放り込まないと、魅力的なものにならないでしょ? 「俺、これすごい好きなんだよ!」って、原曲をよく知らない人にアナウンスしたいし、よく知ってる人とは共有したいから。
──Low Down Roulettes(ドラム伊藤大地、ベース岡部晴彦)と一緒にレコーディングしようと思ったのは?
桜井Low Down Roulettesがバンドとして調子いいっていうのも大前提としてありながら、あのふたりは微妙にこの曲たちを知らない、っていうのがけっこう大事で。ビバさん(須貝直人/MB’Sのドラマー)とか、下手したらオリジナルのほうで叩いてたりするからね(笑)。それはちょっと、本物だとカバーする意味が違ってきちゃうから。特に彼らは80’s感、あの無機質なエイトビートの感じとかを全然知らなくて、それを必死にやっているのがいい感じでしたね。
──桜井さんがアルバム全体にスティールギターをたくさん弾いているのは?
桜井これはYO-KINGさんの譲らない「こういうのが聴きたい」っていうところで。ある日、めったにこないメール的なものが来て、「スティールギターを弾いてください」「なんですって!?」みたいな(笑)。買いましたよ、だから。猛練習しました。
YO-KING結局はこのアルバム、4人で完結しちゃったんだけど、4人で全部やるって決めた時点で、アルバムのカラーってものがあったほうがいいかなと思って。で、とにかくスティールギターが好きっていうのと、あと(ボブ・)ディランが新作でカバーをしてたでしょ? あれもスティールギターがすごい入ってんのね。それから、ライ・クーダーを最近すごい聴いてたから……っていう流れがあって、スティールギター、スライド・ギターの音が全編あれば、一本スジが通るかなと思って。なるべくバラエティ方向じゃないスタートにしたかったのね。こういうアルバムだから、バラエティ豊かにしようと思ったらいくらでもそうなったと思うけど、それとは逆に……70~80年代女性アイドル、スティールギター、スライド・ギターがメインで鳴ってる、っていう縛りをかけても、ここまでのバラエティになるから。ここまでバラエティ豊かになったのも、俺は想定外だったの。もっとシンプルな、スタジオ・ライブみたいな音でもいいかなと思ってたわけ。でも、俺も途中で心変わりして、「やっぱりちゃんと歌うか」っていう気になってきた。ライブ風にアドリブっぽく歌おうかと思ってたんだけど、オリジナルのメロディをちゃんと歌ったほうがいいか、っていう気になってきて。ここ2~3枚のアルバムでは、いちばんちゃんと歌を録った。
──だってこれ選曲を見ると、10人MB’Sで演奏しててもおかしくないですもんね。
桜井そうなんですよ。ハデにしようと思えばいくらでもできるんだけど、そうすると80年代当時の、なるべくその時代にできるきらびやかなものを……っていう発想と同じになっちゃうので。
YO-KINGそっちで勝負してもね。
桜井って考えると、自分は10代の頃はバンドをやってたわけで。バンドサウンドでいいじゃないか、ということですよ。
インタビュー:兵庫慎司